エリクシア王立第七魔法学校魔法戦士学科。この魔法戦士学科は昔から多くの優秀な魔法戦士を輩出し続けたことで有名である。第七魔法学校、通称“ナナ校”の魔法戦士学科はエリクシアの民からいくばくかの敬意を込めてこう呼ばれる。

魔法戦士工房(バスタードファクトリー)と。

 

 

 

「おい。そこの1科生」

「は?」

 上級生、それも最上級の3科生と思しき男に呼ばれて、ウェイは振り返った。ウェイ“は?”などと気が抜けた返事をした我が身を呪った。

相手は、学校の中でも一番、相手にしたくない連中だった。自分より目下の連中に対しては拳骨と蹴りと罵倒の声でしかコミュニケーションを取れない連中と、その頭。

背後に大勢の3科生を従えてその男は、エリクシア王立第7魔法学校総番長ヤマシタ。ナナ校こと第七魔法学校魔法戦士学科を暴力をもって支配するバカ、ウェイの認識はそんなところである。その背後には、取り巻きが5、6人ほど。

「な、なんすか……」

「きさん、1科生のくせにずいぶんと腕が立つらしいのう」

 取り巻きの一人が言った。

「いや、とんでもないです……」

 ウェイはなるべく相手を刺激しない言葉を選んで対応した。しかし、表情まではうまくいかない。

――ああ、こないなときのために作り笑いの練習でもしとくんやった……。ウェイは自分の仏頂面を呪った。

「おう1科生。ヤマシタさんがきさんと手合わせしたい言うとるけん。3日後や。そんとき呼び出しかけるけん、首洗って待っとけ」

 取り巻きの一人がウェイに告げる。他の取り巻き連中もニヤニヤと笑っている。

「返事どうしたかぁッ!!」

「はい……」

 ウェイは白い顔をして返事をする。

「よし。じゃあ待っとけよ」

 小男の取り巻きが言う。ヤマシタは終始無言だった。

 ヤマシタは踵を返してウェイの前から去っていった。取り巻き連中のいやらしい笑いが耳に障る。

 ――なにが手合わせや。複数でかかって私刑にかけよるくせして……。明日からせっかく休みやいうのに。

ウェイは良い気分を台無しにされた形になった。やつらがわざわざ3日後にウェイを呼び出すといったことを予告したのは、その間のウェイの苦悩の表情を眺めてニヤニヤするという最悪の趣味ゆえであった。

 

 

 

「よう」

 ウェイが教室に戻るなり、さっそく声をかけてきたのは、同輩のアツジだった。

「先輩に聞いたぜ?ヤマシタさんに目ぇつけられたんだってなあ」

「情報早いな」

「まあよ。そーゆー情報が伝わるのは神の速さよ。……ったく。だからおめえ、普段から外面だけでも愛想よくしとけっつったのによ」

「でけるもんならしとる」

「違いねえなぁ」

 ぎゃははははははははははは。破顔して笑うアツジ。だが、ウェイには笑い事ではない。

「笑いすぎやっちゅーねん。まあ、しゃあないわ……。はしかにでもかかったと思って、せめて大怪我せんように適当にやっとくわ」

「なんだよかわいくねえなあ。“お願いします、助けてください!”って頭下げたら手伝ってやんのによ」

「あん?……上級生をやってまう、ゆーんか?」

「まあよ。己の天分も知らねえ礼儀も知らねえ1人じゃ喧嘩もできねえ、そんな今のセンパイガタにはよ、さっさとバスタードファクトリーの看板を下ろしてもらいてえ、って連中が1科生のなかには結構いるわけよ。結局、連中は頭のヤマシタさんを除けばたいしたことねえからな。ヤマシタさんはまあ、ほんとにアホかと思うくれえバカ強えぇ〜けどよ」

「…………」

 ウェイやアツジと代を同じくする、バスタードファクトリー現1科生。今年、入校した彼らの実力は、近年稀に見るほどの豊作といわれており、学内外で非常に評価が高い。まさに魔法戦士の当たり年なのである。

特にその中でも、ウェイとアツジは5強と呼ばれ、1科生50名の中で5指に数えられる実力者である。その実力ゆえ、科内でも信望が厚い。そのウェイを的にかけることは、アツジらにしてみれば、

『喧嘩をするには十分な理由』

 になるのである。

「まあ、おめえが頭下げようが下げまいが関係ねえし。この機会に1科で集って、3科ぶっ倒しちまおうと思ってんだよ。まあ、レクリエーションみてえなもんだ」

「さよか」

「なんだよ、ノリが悪りいなあ。まあ、おめえには今回“口実”でいてくれりゃあいいわ。強要はしねえよ」

「…………」

「おめえをダシにすりゃあ人が集まるだろうなあ。おめえの連れ……なんつったっけ?そのオンナノコもよ、意気揚々と馳せ参じるだろうな」

「おい」

 ウェイはぎろりとアツジを睨む。

「――ホンリェにいらんことゆうたら、承知せえへんぞ」

 ウェイの迫力に思わず怖気立つアツジ。

「……わ、わかってんよ。戦争に女はいらねえかんな」

 ちっ、と舌打ちをして、アツジは教室を出て行った。

 

 

 

 3科からの呼び出しを明日に控えた日の昼休み。聞くところによると、アツジが声をかけた連中のほとんどは3科との喧嘩に乗り気なようで、最終的には30人ほどが集まるということだ。教室の中が妙な活気に満ちている。

その空気に居心地の悪さを覚えたウェイはひとり、教室を出て、魔法戦士学科の学舎内をうろうろと歩いた。

たどり着いた先は、学舎内にある修練場所。魔法を用いた実践的な訓練を行う円形状のちょっとしたホールは、魔力を通さない抗魔力壁に覆われている。その壁にはいくつものへこみや剣傷。多くの日の光が差さないこの場所は薄暗くて埃っぽい。だから、規定の訓練以外の自主訓練でここを利用する者は少ない。ウェイも例外ではなく、この場所にくることはめったにない。

その円の真ん中で、黙々と剣を振るう男がいた。ウェイが良く知る男である。

「ヤワタさん」

 ウェイの呼ぶ声に、男が剣を振るう手を止めて振り向く。

くせっ毛の長い黒髪に、端正な整った顔、バスタードファクトリーでは珍しい眼鏡顔。バスタードファクトリーで無骨な剣を振り回しているよりも椅子に座って古書を開いているほうが似合う知的な顔である。そんな外見であるから一見優男風に見えるが、長身痩躯の体は強靭な筋繊維に包まれている。

エリクシア王立第七魔法学校魔法戦士学科2科主席ヤワタである。

「ウェイか……」

「練習ですか。相変わらず熱心ですね」

「おまえほどじゃないよ」

 ヤワタは腰に下げたままの鞘に剣を収める。随分長い間ここにいたのだろう、顔は汗にまみれていた。それでもなお涼しげな印象を受けるところは、外見で得をしているな、という印象を受ける。

 ウェイがバスタードファクトリーに入ったのは“ヤワタの背中を追って”といっても過言ではない。もちろん伝統あるバスタードファクトリーに憧れはあったが、そもそもウェイが魔法戦士を志したのは、ヤワタがきっかけだった。ひとつ年上のヤワタが剣を振っている姿がとてもかっこよくて、ウェイはすぐ彼の真似をして一緒に剣を振るようになった。やがて、ヤワタはバスタードファクトリーに入り、ウェイも彼を追ってここに来た。

 ヤワタはウェイにとって、ただ一人のヒーローなのである。

「こっちの棟に来るなんて、珍しいな」

「ええ。ちょっと気が向きまして……」

 ウェイがバスタードファクトリーに入ってからは、ヤワタと訓練をともにしたことはない。1年間をここですごしたヤワタとの力量の差が予想以上に開いていたため、一緒に訓練をすることはヤワタの訓練の妨げになるのでは、とウェイが気遣ったからだ。

一緒に訓練をするのは、自分をもう少し力をつけてから。そう考えている。

「――3科の先輩たちとやらかすんだって?」

「え、あ、まあ……」

 どうやらその話は2科にも伝わっているようだ。この様子では、すでに3科にも伝わっているかもしれない。

「やめておけ」

「…………」

「つまらないことになるだけだ」

 彼の口から出た言葉としては、これは意外なことではない。

ただ、事はすでに別の人間に委ねられている。ウェイにどうにかできる話ではない。そもそも、3科の先輩たちを快く思っていないのは自分も同じなのだ。なにせ直接マトにかけられた身だ。かばいだてするつもりは毛頭ない。

「お前ら1科生の気持ちもわかるが、先輩方もあと半年で卒業だ。その間だけ、3科の顔を立てておとなしくしてやってもいいんじゃないか?いざこざを起こしても、無駄な遺恨が残るだけだ」

「……ずいぶんと、3科生に肩入れしてるんとちゃいますか?」

「俺達だって来年には3科生だ。入ってきたばかりの連中が大きい顔をしていたら、やっぱり気に入らないと思うからな」

 その弁は、ウェイにとっては全く意外な言葉だった。ウェイの勝手な想像だが、この人には上下のしがらみなんて関係ないものだと、ウェイは勝手に思っていた。上にへつらわず……孤高といった言葉が似合う人なのだ。だから、あまりにもらしくないセリフに聞こえた。だから、ウェイはもうひとつ突っ込んで聞いてみた。

「……それだけっすか?」

「なんでそう思う?」

「なんとなく、っすわ」

「…………」

 ウェイは少し考え込むような顔をして、やがて、口を開いた。

「――今の3科の先輩達はずいぶんと苦労してきたからな」

「苦労、ですか」

「ああ。今の3科にはヤマシタさんを除けば、ぱっとした先輩はいないだろう?……率直に言えば、そう出来が良くなかった。悪いことに、ちょうど今の3科生が1科の時の3科生……つまりお前たちの4つ上の先輩の世代が、お前らほどじゃないが、いわゆるできのいい連中が集まった年だった。さらに良くないことに、性根の悪さも半端じゃなかった。そして、去年卒業したその下。先輩から性根の悪さだけを忠実に受け継いだのが、現3科生のひとつ上の世代。その年に入ってきたのが、俺達だ」

 ヤワタたちが入校したとき、彼らの世代は今のウェイたちと同じように『近年まれに見る豊作』『当たり年』などと呼ばれていたらしい。その先輩達を抑えて翌年『当たり年』の尊名を頂戴したのが、ウェイたち現1科生である。

「性根の腐った上のいびりと、実力のある下からの突き上げ……現3科の先輩達の苦労は相当なものだっただろうな。そのせいで多少ひねくれてしまってはいるが、本来そんなに性質の悪い連中じゃないさ……」

「――同情っすか?3科の先輩達に対する」

「どうだろうな……それもあるかもしれない。だが、一番はそれじゃない」

「…………」

「ヤマシタさんに対する敬意だ」

 

 午後の講義開始を告げる鐘が鳴る。

「上を立てなアカン真ん中も、大変なもんすね……」

「――そうだな……下には下の苦労、真ん中には真ん中の苦労、そして、上には上の苦労がある」

 ウェイはヤワタに背を向け、教室に戻った。

 

 

 

 ――翌日の放課後、座学の講義を終えたウェイの元に、3科生の使いが来た。

「修練棟の裏だ、わかってんな」

 ウェイはそれに、ゆっくりと睨みつけることで返答した。ウェイに睨みつけられたその2つ上の上級生はびくりと身を震わせ、さっさと教室を出て行った。何しろここは、“当たり年”の1科の巣なのだ。

「――さて」

 アツジが立ち上がる。それに倣うように、教室内に残っていた1科生たちが揃って立ち上がる。戦力は予定より少し多く、ウェイを含めて総勢36名。その全員の手には、訓練で使う樫の木剣が握られていた。

「それじゃあ行きますか」

 その全員が、ぞろぞろと教室を出ようとする。

しかし、

「?なんだよ」

 教室の出入り口に立ちはだかる者があった。

 本年度1科5強の一人、今回の件の“口実”である、ウェイであった。

「あんだよウェイ。おめーも行くんだろ?」

 声をかけたのは3科生打倒の有志の一人、ヤオ。

 ウェイは、そのヤオをはじめ、打倒3科生有志連合に向かって宣言した。

「――3科の連中、ヤリに行こう思とるやつは、俺を倒してから行けや」

「ああ?」

 教室中が「ああ?」に包まれた。

「おいウェイ、おめえ何をトチ狂ってん……」

 ヤオが言い終わる前に、ウェイの木剣がヤオの鳩尾にすばやく突き刺さった。

「お゛ごうッ……」

 一撃で、ヤオは床に沈む。

教室内が騒然とする。

「ウェイ、てめえ!」

「おい」

 ウェイに食って掛かろうとした一人を、1科の首謀者であるアツジが押し留める。そして、代わりにウェイに疑問をぶつける。

「ウェイ、こりゃあどういうことだ?おめえが今回の喧嘩にかかわらねえのは別にかまわねえっつったけどよ……俺らの邪魔をするっつーのは意味わかんねーだろ」

「――呼び出されたんは俺一人や。俺が行って、……まあ、いろいろすんねやろけど、そんで終わり。今回の件はそれだけのことにする。そうさすねん……」

 額にじっとりといやな汗が浮かぶ。胃が痛い。ウェイは汗顔で教室内の連中に短い口上を述べた。

「ちっ……なんだか知らねえけどよ、もうこっちはそんなんじゃおさまりつかねえんだよ、3科の連中にはよう。……それとたった今、てめえにもよ!」

 アツジを筆頭に、1科の連中がいきり立つ。

(――ああ、失敗したかもしれんわ……先に言ってからにしとくべきやった。したら無駄に戦わんでもよかったんかな。こーいうこと、ちゃんと考えてからやるべきやな。くそう)

 これで1科の連中とも終わりかもしれない。バスタードファクトリーにも居られなくなってしまうかもしれない。

 いろんなことを考えているうちに、一人がウェイに飛びかかってきた。思い切り振り下ろされた木剣をウェイは軽くかわし、胴に一撃を喰らわせて沈めた。その次にもう一人。こちらも単調な攻撃をウェイに仕掛けたが、あっさりとやられる。

「おう!俺は3科のヤマシタ(・・・・)先輩(・・)待たせとるんじゃ!自分ら全部まとめてかかってこんかいっ!ひとぉ〜り、ふたぁ〜りちゃうぞ!ひとりふたりさんにんよにんじゃ!いっぺんにこいやッ!」

 ぶちっ。1科の連中の脳みその中で、何かが切れた。

「おめえよお、1科5強の一人だからってなめすぎじゃねえの!?」

 非常に素直な1科の面々はウェイの挑発に乗り、ウェイの言ったとおり複数で一斉にかかる。

 一斉にといっても、教室の出入り口で戦っているウェイにかかっていける人数はせいぜい3人。それくらいならまとめて相手にする自信がウェイにはあった。

 それが、5強の力である。

「死ィねやあ!」

 そして、ウェイはそれらを次々と打ち倒していった。

 1人、2人、3人……と、次々に床に倒れ付す1科生たち。

 それを見て、後方にいる何人かが怖気づく。

「つ、つええ……!さすが1科5強だ、かないっこねえよ……」

 後ろで見ていたうちの一人が思わずそうつぶやいた。それを聞いたアツジは、その男の腹を木剣で殴る。

「うっ……!」

「ふざけたこといってんじゃねえぞ。よくみとけよ」

 ウェイが退けた相手はすでに11人、そのほとんどを、それぞれ一撃沈めた。しかし、ウェイも無傷ではない。ウェイの選択肢には、教室から一歩でも下がって引くという選択肢は無い。そのため、すべての攻撃を木剣で裁かなければならなくなる。3方からの攻撃をすべて裁けるわけもなく、決定的な一撃こそ避けてはいるが、ウェイの体には確実に打撃のダメージが蓄積されている。体力的にはもちろんだが、一度に3人へ気をめぐらせなければならないことによる精神の疲弊は並ではない。

 12、13、14……敗者の山はさらに積みあがる。

「さて、そろそろじゃねーの……?」

 そう呟くと、アツジは呪文を唱え始めた。それに気づいて、一人が止めにかかる。

「おい、おま……教室内での攻撃呪文使用はご法度だぞ!」

 アツジはそれを無視して呪文を完成させる。アツジの前に彼の頭ほどの大きさの火の玉が現れた。

人一倍短気で、人一倍卑怯。躊躇のなさこそが、5強としてのアツジの強さを支えている。

「おい、どけ!てめえら!」

 アツジが指示すると、ウェイを包囲していた人垣が割れた。アツジが炎の呪文を唱えたことに気づいたようだ。

「……おぁ!?」

 ウェイは思わず叫ぶ。

(あたまおかしいんちゃうか!?あいつ!!)

「だいじょーぶだよ。死なねー(と思う)から」

 アツジが火球をウェイに向けて放とうとした、そのとき。

「!?」

 火球が急速に萎み、爆ぜることなく、大気の焦げた匂いだけを残して消えた。

 攻撃呪文の解除である。呪文を解除するには術者を凌駕する魔力を持って無理やり押し込めて無効化する方法と、呪文を逆から読み上げることにより、呪文のエフェクトを無効化する方法があるが、後者は術者の素養とは関係ない裏技だ。先ほどの呪文解除は後者によるもので、それをしたのはもちろんアツジ本人ではない。

「おい、だれだよ!ふざけた真似しやがって!」

 逆上するアツジの声に、一人の男が進み出た。

「ジャレン……てめえか」

 アツジの前に姿を現したのは、ウェイ、アツジたちとならぶ1科5強の一人、ジャレンであった。魔術と剣を混成した戦闘法は教官たちをして“魔法戦士の模範”と言わしめるもので、学内でも屈指のトータルファイターと謳われる実力者である。

 ジャレンはアツジの前に出ると、しらけたような顔でアツジの顔を見た。

「……アツジよう、俺はもう呆れっちまったぜ。みんなで楽しく悪者退治〜っつって意気揚々と馳せ参じたらいきなりこれでよう。まあこうなっちゃったらしかたねえからウェイと俺で1科最強でも決めようかと思って後ろでおとなしく順番待ってたんだぜ、俺は。それをつまんねえ横槍で台無しにすんじゃねえよバカ」

「――おめえこそ俺をなめてんじゃねえ!」

 アツジは木剣を手に取り、ジャレンに振り下ろす。ジャレンはそれを木剣で受け止めた。

刀身をあわせたまましばし競り合った後、お互いが後ろに跳んで間合いを放した。そのままにらみ合う。

「……決〜めた」

「あ?」

「俺、ウェイにつくわ」

 一時、このやり取りの間、静寂に包まれていた教室内が、にわかにざわめいた。

ジャレンは悪びれた様子もなく、おどけたように言う。

「あれれ?おっかしいなあ。俺達悪者退治に行くはずだったんだけどなあ」

「…………」

「こ〜んなところに、手頃な小悪党がいるんだからよ」

 ざわっ。

 1科5強の2人が組んだ。このことが彼ら1科生に与えた影響は大きかった。いくら1科5強とはいえ、この人数でかかれば容易く倒せるだろうと踏んでいたウェイを、未だに倒すことができていないのだ。そんな実力者ふたりを相手にしている。アツジとジャレン、2人の5強という後ろ盾があったからこそ余裕を保っていられた彼らの足並みは、急激に崩れた。

「う、うわっ……!」

 敵わないと判断した何人かは、教室から外へ逃亡を図るべく窓際へ殺到した。

 そんな彼らを、ウェイが一喝した。

 

「――逃げんなっ!!」

 

 高らかと教室に響いたその声に、教室内にいただれもが動きを止めた。

「――バスタードファクトリーの学生なら、逃げんなや」

 ウェイの構えは先ほどからずっと、解かれていない。

 そんなウェイの前に、一人の大柄な学生が進み出る。1科で1番の膂力を誇るが、魔法をほとんど使えないオカフォーである。

「そうだな。俺は逃げねえ。ここは、バスタードファクトリーだからな」

「それでええ。……こいや、一人残らずぶっ倒したる」

 オカフォーはそれを聞いて穏やかに笑う。

「――俺達は頭に据えるやつを間違ったらしいな。ウェイ、アンタに敬意を」

「おお、かっくいーぞ!オカファー!それでこそ男だろ!!」

 冷やかしともつかない声援を送ったのは、彼らの敵に転じたジャレンだった。

「ガツンといけよ!安心しろ、“痛てえ”より先にウェイが一撃で眠らせてくれるからよ!」

 その野次とも声援ともつかないジャレンの言葉に苦笑しつつ、オカファーは木剣を構えた。

「うおおおお!」

 大柄な体を利した大振りで、袈裟がけにウェイに切りかかる。ウェイは木剣でそれを受けるが、先ほどとは桁違いの威力を持った強烈な一撃が、ウェイの腕をきしませる。今度は横なぎの一撃、これは跳んでかわす。オカファーの木剣は教室の引き戸を半ばまで切り裂き、途中で止まった。そのため、剣を引くのが遅れた。

 その隙を突いて、オカファーの無防備な腹に一撃を加える。

 オカファーの巨体が床に崩れ落ちた。

「……ふしゅ―――――っ」

 オカファーはもう起き上がろうとはしなかった。

「……やっぱり強いな……アンタは」

「自分もなかなかのもんやで。ただ、大振りばかりに頼るクセは直しや。そのうち腹に穴が空くで」

「――アニキって呼んでいいか?」

「……んな呼び方したら今すぐどてっぱらに穴が空くで」

 ウェイは再び構える。

 先ほどまで逃げ腰だった連中も脱走を止め、教室にとどまった。そしてみな一様にウェイに視線を送った。その瞳にあるのは怖れだけではなかった。敬意や憧憬の色が浮かぶその瞳には、みな一様に戦意を纏っていた。

 全員が先ほどと同じように、ウェイに躍りかかる。

「……ちっ。どいつもこいつもバカばっかりかよ」

 やってられない、といった表情でその様子を眺めるアツジ。

「ああ。その中でも一番のバカは入り口にいるやつだな。何考えてんだか」

「……くだらねー」

 向き直るアツジとジャレン。

ジャレンは木剣を片手で構える。

「退屈だろ。お前の相手は俺がしてやるよ」

「…………」

アツジは腕を組んだままで、ジャレンの呼びかけに応じる気配を見せない。

「どうした?」

 アツジはあさってのほうを向き、言った。

「……順番待ちして〜気分だっつったら、笑うか」

「…………」

 ジャレンはアツジの顔を覗き込む。そして微笑み、

「……いいや」

木剣を構えた腕を下ろし、呟く。
「俺もそんな気分だ」

 ジャレンとアツジは再びウェイの戦いに目をやった。30人目が打ち倒されたところだった。

 

 

 

 魔法戦士学科修練棟、その裏手。その場所に、魔法戦士学科3科生主席ヤマシタを筆頭とした3科生たち50名が終結していた。

「遅いっすね」

 ヤマシタの傍にいる一人が、ヤマシタに声をかける。

「兵隊集めて準備してるにしろ、時間かかりすぎでしょう」

「…………」

 3科と喧嘩をするために1科が準備を進めている、という情報は、当然3科の耳にも入っていた。

「逃げたんじゃねえすかね」

「まさか」

 ウェイに先んじて現れたのは、2科主席のヤワタ。場が少しだけざわめいたが、ヤマシタとヤワタが親交があることを3科生たちは知っていたので、彼に対してつまらない因縁をつける者はいない。

「きますよ、もうね」

 ヤワタが視線を動かす。それにあわせて、ヤマシタも。

 修練棟の建物の影から現れたのは、ぼろぼろの体のウェイ。キズだらけの木剣を片手に、空いた手でわき腹を押さえている。素肌を晒した腕にはいくつものあざが見え、顔も幾分か腫れている。

 その姿に3科生たちがざわめく。

さらに、ウェイの後についてくるように、大勢の1科生たちが現れた。その1科生たちも、ウェイほどではないが一様に怪我を負っており、腹や腕を押さえていたり、頭から血を流したり、足を引き摺る者、仲間から肩を借りてきた者もいる。1科5強のふたり、ジャレンとアツジもお互いの肩を借りて歩いてきた。

 3科生たちが身構える。

 先頭のウェイが、ヤマシタに向けて言う。

「……先輩、こいつらは何にもせえへんですから、剣を治めてください」

ウェイは1科生たちに向き直り、

「自分ら来るな言うたやんけこのボケどもが!黙って教室に転がっとかんかい!」

 と叫んだ。

 アツジやジャレンたちはそれに反論する。

「うるせー!俺らの勝手だろが!」

「そーそ。俺らのことは気にせずさっさと話進めろっての」

 ちっ、と舌打ちして、ウェイはヤマシタに向き直る。

 真正面に見据えて、ウェイは始めてヤマシタの威容を知った心地になった。

 でかい男である。

「…………」

 威容に押しつぶされないように、深く呼吸して一息ついて、ウェイは口を開いた。

「……ヤマシタさん、俺にはこの学校で尊敬する人が一人だけおる。アンタも知っとる奴や――」

 ウェイは気息を整え、その名を言う。

「――2科主席の、ヤワタさんや」

「…………」

「ヤワタさんはガキの頃からの俺のヒーローや。そのヤワタさんが尊敬するやついうんが――アンタや、ヤマシタさん」

 ウェイはヤマシタに向き直る。

「ヤワタさんは礼節を知っとって、タフで、なにより強いやつしか尊敬しいひん。ホンマに立派なやつしか尊敬しいひんのや。きっと、アンタはそないな人なんやろな。せやけどな――」

 先輩への無礼も構わず、ヤマシタに木剣を突きつけるウェイ。

「――ヤワタさんがあんたのことを尊敬するから言うて、俺は単純にアンタを信用することも尊敬することもしいひん。俺は、俺が身をもって感じたことしか信じられへんのや。しやから、ヤマシタさん」

 突きつけた木刀を引き寄せ、構える。

「俺らの尊敬は、アンタ自身の手で勝ち取ってくれ」

 1科生の言動に、3科生たちが敏感に反応する。

「てめえ!ヤマシタさんに対して生意気が過ぎる……」

 その3科生を、ヤマシタが手で制する。

「…………」

「――さあ、構えてんか……」

 ヤマシタはしばしウェイの顔を眺め、そして、言った。

 

「帰るぞ」

 

 ――は?

 

 構えたウェイに背中を向け、ヤマシタは3科生たちに撤収を促した。3科生たちもヤマシタの言動に「何を?」といった表情を隠せないようで、しばし立ち尽くす。しかし、ヤマシタが歩き出すと、3科生たちもその後について歩き出した。

「待てやコラぁ!」

 アツジが次々と去っていく3科生たちの背中に叫ぶ。3科生の何人かが振り向いたが、彼らは2度は振り返らず、黙ってヤマシタの後ろを付いていった。

 

 それからのナナ校の日々は、 やはり少しだけ変わったけど、おおむね穏やかなものだった。3科と1科の学生がたまに小競り合いを起こしたが、そのどれもが深刻な事態にまで発展することはなかった。足並みが乱れた3科に対して、1科の学生はウェイの元で余裕を持ってそういった事に対応するようになった。

 

 

 

3科生の送り出しは良くも悪くも穏やかに済んだ。卒業の式のひと月前くらいは、3科生には掛け値なしの敬意を払ってやるべきだとウェイが言ったから、それ以後は小競り合いもなくなった。卒業の折には、1科生も3科生も穏やかな顔をしていたようにウェイには思えた。

ただ、ウェイの中には拭いきれないしこりのようなものが残った。

 

「ウェイ」

 円形の修練棟の真ん中に大の字に寝転がっているウェイに話しかけるのは、新3科生の主席ヤワタだった。

「…………」

 だが、ウェイは起きない。

「……新3科生主席がおこしだが」

 それを聞いたウェイはのろのろと起き上がり、

「めでたく最上級生……おめでとうございます」

「気のないあいさつだな。らしくない」

「らしくないいうたら、センパイのがらしくないんと違いますか?」

「センパイ、ね」

 ヤワタは表情を変えず、ウェイの顔を見続ける。

「ヤマシタさんのこと、まだ合点がいっていないか」

「……どうでもええことですよ。ただ、ヤワタさんが気にかけるよーな人やなかった、言うだけのことです」

 気分に任せて言い放った言葉を、ウェイはとがめられると思った。だが、ヤワタがウェイを叱責する様子はない。

 どんな意図があってヤマシタがあの場を引いたのか。ウェイはいろいろと考えをめぐらせたが、結局、答えにはたどり着けないでいた。ただ漠然と、

(仲間のため、やろな。きっと。邪魔くさい……とは思わんけど)

 そんな風に思っていた。

 悶々とした顔をしているウェイを見つめながら、ヤワタは近くの壁に背中を預けた。

 そうやってふたり、しばらく黙っていたが、やがて、ヤワタがゆっくりと口を開いた。

「ヤマシタさんのとった行動はな、俺には理解できるんだ。多分、俺が同じ立場でも同じことをしたかな」

「……逃げる、いうことですか」

 今日のウェイはどこまでも挑戦的だった。そしてヤワタは、ひたすらそれを受け流し、

――いや、受け止めた。

「そうだな。まさしく、逃げだ。ヤマシタさんは、逃げた」

 ウェイは怪訝そうな目でヤワタの顔を見る。ヤワタには、ウェイを茶化しているようすはない。単なる皮肉だったのだ。

「あの、3年間も級友たちを庇い、守り、そしてまとめ続けたあの大きな男が、あのとき、たった一度だけ、男のエゴを優先したんだ」

「エゴ……」

「負けたくないと思った」

 ひたすら、真顔。ただ、表情には優しさが混じる。

「負けたくないと思ったんだ。そして、負けたくないから、立ち去った。仲間達の期待に背く形になっても……こう言って、意味がわからないなんてことはないよな」

「……まさか」

 あのときヤマシタが立ち去った理由を、ウェイはそういう風に考えたことはなかった。因縁はあったが、ヤマシタの力量を認めていたからだ。ウェイの方こそあの時、ヤマシタと戦って勝てる自信などなかった。

「冗談でしょ」

「俺がそんな冗談を言うと思うのか。ああ、冗談だったら良かったんだがな……。あのとき、30余人もの1科生たちを叩き臥せ、ぼろぼろの傷だらけで現れたお前を見て、ヤマシタさんも俺も、何故だか勝てないと思った。負けたくないというエゴがゆがんだ形となって、ヤマシタさんの脚を帰路へ向かわせたんだ」

「…………」

「ウェイ……俺やヤマシタさんは所詮エリクシアの魔法剣士だよ。ああいったゆがみかたはエリクシア人のしょうもない性さ。ゆがんだ負けず嫌い、ゆがんだ往生際の悪さ、スマートだけど、気にするのは見た目ばっかりで、儀礼用の刃のない剣みたいなものだ。そして、やっぱり俺もそんなつまらないプライドを持っている……」

 自嘲気味に少しだけ笑い、そして続ける。

「その点、お前ら新2科生はたとえば、剣の国ジュデンの戦士みたいな、愚直ともいえる、ぶつかる力を併せ持っている。お前ら新2科生が俺たち以上の評価を受けるのは、そういうところに理由があるんだろうな。その中でもお前は、芯の強さがひとつ抜きんでている。本当の戦士になるよ、お前は」

「ヤワタさん……」

「……だがな、それはまだ先の話だ。今はもう少し、お前に付き合ってほしいことがある」

 ヤワタは修練等の入り口のそばに寄ると、

「ヤマシタさん」

 元3科生主席であった男の名前を呼んだ。

 その声に応えて現れたのは、先だってこの学校を卒業した男……ヤマシタだった。

 ウェイははじめ、少しだけ驚き、そして、背筋を伸ばした。ナナ校在籍時からストイックな空気を全身から放っていたような人だったが、今は、更に一味違う重みを伴っているように感じた。人を屹然とさせる……そんな凄みを。

 そして、ウェイはヤマシタがここにいる理由を、なんとなくだが察していた。

「手前勝手な話や……そう思いません?」

 ウェイの軽口に、ヤマシタは口を開かない。ウェイが、何かを言わずにはいられないと知っていたかのようだった。

「ウェイ……口に気をつけろよ」

「ヤワタさん、ヤマシタさんに気ぃつかわはるんはわかりますけど……俺とヤマシタさんの間やと、もうそんなんあらへんのと違います?」

「ヤマシタさんは俺たちの先輩であり……そして、お前に負けていない」

 ウェイはヤワタのその一言に眉をひそめた。

「逃げは負けとは違ういうんが、エリクシア人(・・・・・・)の理屈ですか?」

「そうだな……俺はそう考えている。勝てないと悟った勝負を避けることは負けじゃない。ただ、“負けていない”という意味は、それだけじゃない」

「…………」

 そうだ。

 ウェイも、そんな表面的なことだけを捉えて軽口を叩いたわけではない。

“負けていない”――ヤワタの言った言葉の意味、すなわち、“現時点で、ヤマシタの力量はウェイに負けていない”ということ。

ウェイは、ヤマシタの、現在の姿を見て、逃げたいと思った――だが同時に、剣を交えてみたいと思った。

(エリクシア半分、ジュデン半分――なんだかな。別に、それって、普通やん)

 気分が高揚して、わけの分からないことが頭に浮かんだ。

 ヤワタが再び口を開く。

「ウェイ――けしかけるみたいな形になって、俺も悪いと思ってる。だがな、俺は見てみたかったんだ。ヤマシタさんと、お前が剣を交えるのを」

 言われんでも。

 ウェイが胸の前に軽く手を挙げると、ヤワタが腰布に差した木剣をウェイに投げ渡した。

 そして、ウェイはヤマシタに向けて、

「決着が必要すか?」

 わくわくした笑顔で、挑発した。

 

 

 

「なんやのそれ!?うち、そんなん聞いてへんよ!」

 東の大陸へ向かう洋上の船の甲板で、ホンリェははじめて聞くウェイの話に驚きの声をあげた。ふたりは甲板の縁の手すりにもたれて、二人で暇つぶしに話をしていた。

「話してへんかったか?なんか、なんとなく知ってるもんやと思ってた」

「言わんかったら知らんやん、そんなん」

 ウェイののんきな返答にあきれ返るホンリェ。

 ウェイたち当時の1科生と3科生が衝突寸前にまでなった一件には、ホンリェは参加していない。ウェイに恫喝されたアツジが、ホンリェの耳には届かないように口止めしたためだ。だが、その件はヤマシタがウェイとの衝突を避けたという大きな話題とともにナナ校中に伝わり、結局はホンリェの耳にまで入ってしまうことになった。

 だが、ヤマシタが卒業後にウェイ戦ったことを、ホンリェは知らなかった。いや、恐らくは当事者の3人――ウェイとヤマシタ、そしてヤワタ――を除いて、だれも知る者はいないだろう。

「卒業したヤマシタさんと、なあ……」

 しみじみと、ホンリェがつぶやく。評判はともかく、ホンリェもヤマシタの胆力に敬意を払っていた。

「ま、ヤマシタ先輩もいろんな意味でえらい人やったわ」

「でもほんまに、それはもう自分のための勝負やったんやな」

「あん?」

 ホンリェの弁に首を傾げるウェイ。

「だって、自分が強い〜て偉ぶったり3科の屈辱雪いだる〜いうんやったら、卒業する前に生徒の前でウェイを倒したったらいいんやし。そんなもん全部なしに、ウェイに挑みたかった、てことやん。きっと、ウェイとの勝負を大事にしたかったんや」

「ちぇっ……そないなこと考えるタマかいな」

 ホンリェは、ふふ、と小さく笑う。

「男の子はええなあ……」

 上空に飛ぶ海鳥の姿をみながら、ホンリェがつぶやいた。

「ところで、勝負はどっちが勝ったん?」

「…………」

 空を行く海鳥の姿を目で追って、ああ、陸が近いかもな、なんてつぶやきながら、ウェイはその場を去っていった。

 

 バレバレだった。






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