青い空、白い雲、エメラルド色の海。さんさんと照りつける太陽が容赦なく肌を焼く。

 ここは南海に浮かぶ島、リゾー島。世界最高のリゾート地である。

炎の精霊の強い影響下にあるこの島は、常春のこの世界にありながら、年中強い太陽に照らされるまさに常夏の島である。

 眼前に碧い海をのぞむ、白い砂の敷き詰められた砂浜。そこに敷いたレジャーシートに、大小二人の少女が寝そべっていた。

 大きいほうの少女はユーネ。赤いビキニに包まれた胸元のふくらみが「うりゃあ」って感じに自己を主張している。ローライズの三角ビキニはお父さんが見たら「ユーネも大人になったなあ……」としみじみお酒でも呑みたくなるような大胆さです。耳が尖っているが、別にエルフというわけではない。おんなのこの秘密。左の二の腕には、細工のシンプルな銀の腕輪。

 そして誰が小さいほうだこの野郎と睨んでいるのがJT。水色の、肩紐のないチューブブラと短いボーイショーツがスポーティさを演出しているが、残念ながら胸がないのでチューブブラが微妙に似合わない。

え?大きいほうと小さいほうって胸のことじゃないですよ?身長、身長。……後で体育館の裏に呼び出しですか?

 さて、彼女たちが何故こんなところでリゾっているかというと、世界中を巡り歩く彼女たちは、流れ流れて南海の島リゾー島までたどり着きました。この地では最近オクトパスギガンテスという魔物が海で暴れていて、観光客がいなくなってしまいました。ユーネたちは旅人さん助けてくださいと頼まれたので、ユーネとJT、そしてもう一人男がいるのですがこいつは男なのでどうでもいいです。で、彼女たちは見事にオクトパスギガンテスを退治し、お礼にしばらくリゾっていってはいかがですかというリゾー島観光協会の会長さんのお誘いで、3人はしばしリゾっていこうということになったわけです。

 滞在2日目(含む大ダコ退治)、二人は日光浴としゃれ込んでいた。ユーネはこんなところにまで本を持ち込んで読んでいる。

「……」

 しかしユーネが見る限り、JTは少し所在なさそうに、というか退屈そうにしている。

「JT、退屈?」

「んん〜……なんかさ、行楽地で何もしないと、すごくもったいないような気がしてさ」

 ユーネが笑う。

「なるほどね。でもね、レジャーというのはこうやって、無為の時間をのんびり過ごす贅沢を満喫するものだと思うわ」

「そんなもんなのかなあ……」

「チャンスと一緒に散策に行けばよかったんじゃない?」

「やーだ。子供っぽいのになんか付き合ってらんないもん」

 それを聞いてユーネは笑いをこらえる。ユーネの顔を見てJTが膨れる。

「まあいいわ。しばらくご厄介になるんだし。好きなときに見に行けばいいんじゃない?」

 

 

 

 ユーネたちと別行動をとっているチャンスは一人、街中をぶらぶらしていた。

リゾー島は神話に彩られた神々の休息地。大陸ではあまり見られない珍しい様式の建物がずらりと並び、それを眺めているだけでもなかなか面白かった。メインストリートらしき通りでは皮や陶器、レースの店が軒を連ねているが、チャンスはユーネと違ってそういう買い物には興味がない。後でお店めぐりでもしたいといったら案内くらいはしてやるつもりではあるが。

 街の人たちは皆、チャンスの顔を見るなり挨拶をしてくれる。何せチャンスたちはリゾー島の住人たちにとっては“オクトパスギガンテスを退治した英雄”なのだ。ユーネには「スリに気をつけなさい」といわれたが、そういった連中も敬意を払っているのか、まったく出遭わない。おっかなそうな顔の連中やそこらでたむろっている目つきの悪い若者まで挨拶してくるのだ。マフィアの頭領にでもなった気分だ。

 

 乗合馬車を使って街の外まで行く。長い坂を登っていくと、丘の上に広い平地があった。羊が放し飼いにされているのできっと牧草地なのだろう。島でも高い場所に位置しているこの場所は、ずっと向こうを見ると絶壁になっていて、落ちたら海面に叩きつけられて助からないだろう。放されている羊たちは構わず柵もない崖のそばまで寄っていったりしているが。

「こええ〜!」

 馬車から降りたチャンスは、一気に崖まで寄っていって、その下に広がる海を眺めた。こええ〜とかいいながら顔はものすごく喜んでいる。何とかと煙は高いところが好きというが、チャンスもその何とかの例に洩れなかった。

 そのチャンスをめがけて突進してくるものがあった。その黒い塊は地上をぐんぐん加速し、ものすごい勢いで離陸。チャンスの背中にぶち当たった。

「おあっ!?」

 チャンスはバランスを崩し、そのまま崖の下へ命がけのサイコーダイブをしそうになったが、足やらいろんなところをふんばってこらえた。前方に倒れたチャンスは、顔と胸の辺りが地上からはみ出ていた。いくら高いところが好きでも限度があるのだ。突然襲ってきた恐怖に、チャンスは涙目になった。

 チャンスは体をよじって何とか地上へ回復し、自分を襲った恐怖の物体を確認した。

そこにいたのは、毛並みの良い黒毛の子犬だった。

 白衣の凶悪医者の手でもなく、巨大なドラゴンのブレスでもなく、こんなちび犬の突進によってこの物語のシリーズを終わらされかけたのだ。

「このちび犬……」

 睨んでやると、子犬は少しひるんだ。

 チャンスと子犬がにらみ合っていると、遠くのほうから女の子の声がした。

「チャンス〜」

 みると、見知らぬ金髪の女の子が手を振ってチャンスのほうへ走ってくる。薄地の黒のサマードレス(黒の生地でサマードレスなんて作ることが問題である)のスカートの裾をひらひらさせながら手を振って小走りに駆け寄ってくる。その後ろを羊の群れが大挙してついてくる。シュールだった。

 チャンスはわけもわからず手を振ってみる。やっほ〜。

少女が近くまで来ると(羊の群れの迫力は圧倒的だった)、黒犬が彼女の元へ走り寄っ手いった。

「チャンス、ダメでしょう?崖のそばに寄ったりしたら」

 少女が犬を胸に抱く。

 何か知らないけど、チャンスはその黒のサマードレスの、金髪碧眼の少女に怒られた。

「まったく、心配かけて」

 彼女が犬の頭を撫でる。

 さすがにチャンスも、彼女の言う“チャンス”が自分ではないことに気づいた。

「あの、その犬の名前……」

「……あなたは?」

 しばし、二人の瞳はお互いを見つめあった。

波がかった金髪が風に揺れた。その碧眼はよく見ると海の色にそっくりだった。

 

 

 

「なんかさ〜こう、白馬の王子様、みたいな」

「なにそれ」

 いよいよ退屈が極まってきたらしいJTの突拍子のない一言に、ユーネが顔を上げる。

「突然やって来ないかなっ!って」

 JTがいよいよ馬鹿になった。リゾー島の太陽も罪なことをする。

「ふうん?こんなとこに?」

「場所は関係ないでしょ〜」

「いや〜、考えなきゃ」

 自分たちが白馬の王子様ならぬ白衣のおじさまを追いかけているのを忘れかけている二人である。

 二人がそんな話をしていると、寝そべっている二人のあまたの上から声をかけてくる男がいる。

「やあ、お嬢さんたち」

 二人して顔を上げる。

そこに立っていたのは、年の頃は20歳前後だろうか。さらさらの金髪に海の色と同じ碧の瞳、完璧に整った、まさに王子様フェイス。ただし、身に纏うのは王子様装束などではなく膝丈の黒の海水パンツだ。

「…………」

ここに及んではじめて、JTは白馬の王子様のビジュアルイメージを頭に想像することを始めた。ここに現れた美形は王子様の顔をしているが、海パン一枚。王子様は白馬に乗っててしかもキラキラの王子様ルックであるべきだが、しかしこの砂浜においては海パン一枚というほうがやはり正しい。むしろ暑苦しそうな王子様ルックで白馬に乗ってあらわれようものなら、変人の誹りは免れないだろう。

「あたし、ユーネの言ったことが今わかった」

「理解してもらえて嬉しいわ」

「何の話か知らないが。君たちはアレだね?オクトパススレイヤーのお嬢さんたちだね」

 オクトパススレイヤー――タコ殺し。

「フェルフのお嬢さん、お肌を焼き過ぎると黒エルフになってしまいますよ」

「平気ですからお気遣いなさいませんよう」

 ユーネは口元だけで笑って愛想を作る。目は笑っていない。

「ハンマーのお嬢さん、ご一緒に食事でもいかがですか」

「誰がハンマーのお嬢さんじゃい……ってごはん?」

 JTが食いつく。

「ええ。ヨーグルトサラダやカラマリのおいしい店があります。一緒にいかがですか?」

 カラマリというのがよくわからなかったが、小腹もすいてきたので何か食べたいと思っていたところだ。

「それじゃあ、案内してもらおうかしら」

 JTがそう言ったところでユーネが「ぶふっ!」とあっちを向いて吹き出し、頬を痙攣させながら笑う。かしらだって、かしら。JTが。JTがかしら。

JTは友達甲斐のない女の背中を足の先で軽く蹴りつつ立ち上がる。

「ああ、待ってよ」

「ユーネはここにいればいいじゃない」

「私もお腹空いているのよ。ご一緒してもよろしいかしら?」

 男性は快く頷いて「喜んで」と言った。

 悔しいけれどやっぱりユーネはきまっている、とJTは思った。“かしら”が。

 

 

 

絶壁に二人並んで腰掛けて目の前に広がる巨大な雲と青い空を眺める。崖の下に脚をブランブランさせてみる。高所恐怖症の人なら見ただけで絶叫および卒倒しそうな光景だ。チャンスは高所でも完璧に体を御する自身があるから、落下の不安を考えたりしない。横に座る少女が何を考えているのかは知らないが。

それより、何で自分はこんなところに2人並んで座っているのだろう。

「あの……」

 少女が口を開いた。

「お名前は……」

「俺はチャンス。君は?」

「メリー、と言います」

 なにか、ぴったりな名前だと思った。なぜかはわからないが。彼女の後ろには羊の群れが集まっている。めぇ〜。

ちびの黒犬のチャンス(犬)はさきほどからチャンスの背中にちびなりの精一杯で頭をぐいぐい押し付けている。まさか匂い付(マーキング)けをしているわけでもあるまい。何でこの犬は自分を崖の下に突き落とそうとしているのだろう。

チャンスはチャンス(犬)をひょいと捕まえて自分の膝の上の宙空でぐるぐると回転させてみた。だんだんと勢いをつけてやった。チャンス(犬)は心底いやそうで、よくわからない鳴き声をあげる。

だんだん楽しくなってきたチャンス。だがそれを、メリーが止める。

「チャンス(犬)をいじめたらダメですよ」

 そうだ。コイツの名前もチャンスだった。同じ名前のよしみだ。今日はこの辺で勘弁しといてやろう。チャンスはチャンス(犬)をメリーに預けてやった。メリーの膝の上も、奈落と紙一重だが。

「その犬、なんでチャンスって名前なんだ?いや、何でってことはないだろうけど」

「……この子の名前は、この島を守ってくれた英雄の名前なんです」

「へえ……ずっと昔にチャンスって名前の人がいたんだ」

「え……?」

 沈黙。

「違うの?」

「そんな昔のことではありません。つい最近のことです」

 チャンス(犬)がきゅ〜んと鳴く。

「この子は、この間までミカエルという名前だったの」

 そんなにころころ名前を変えていたのか。

「じゃあもしかしてその犬、俺の名前を拝借したってこと?」

「え……?」

 沈黙。

「あなたは……ミカエル?」

「そっちじゃねえ!……メリー?俺の名前、教えたよな」

メリーは何を言っているんだという怪訝な顔でチャンスを見る。

「俺の名前、チャンス、OK?」

 言葉の通じない外国人にしてやるように、チャンスは自分の名前をもう一度教えてやる。

「チャンス、チャンス……チャンス?」

 ピカーン。メリーの頭の上で電球が光った。30W。

「あなたがオクトパスギガンテス・スレイヤーの、チャンス?」

「まあね」

「あなたが大ダコ殺しのチャンス?」

「何でわざわざ呼び方変えて言った?ん?」

 メリーはチャンスの顔を見つめる。海の色をした瞳で。

 チャンス(犬)がメリーの腕から逃れ、地上に復帰する。するとまたチャンスの背中に頭を押し付け、チャンスを碧い海に葬ろうとする。やめて。

二人はしばし見つめあう。沈黙。羊は構わず鳴く。めえ〜。

「あの……」

 メリーが沈黙を破る。

「動物は、お好きですか?」

 この少女は話すときの抑揚があまりない。平坦な調子でものを言う。

「まあ、好きかな」

「どんな動物がお好きですか?」

 少し考え、答える。

「……牛、豚、鶏――」

「…………」

 めえぇ〜。

「羊もまあ、嫌いじゃない」

「…………」

 羊たちも沈黙。

「犬だってその気になりゃあ……」

 メリーは無言でそっと手を伸ばし、子犬のチャンスを抱き寄せる。

「お腹がお空きでしたら、島の者しか知らないおいしいお店をお教えしますわ。一緒にいかがですか?」

 昼食の甘美な誘いにチャンスは抗し難かった。もっとも、抗う理由など何一つなかったが。

 

 

 

 JTとユーネが王子様に連れられて古びたタベルナ(食堂)に入ると、そこには見覚えのある顔があった。何かの揚げ物を口に頬張っている間抜けな顔はあまりみっともいいものではなかった。だが、問題はそんなことではない。

彼が座っているテーブルには、金髪で黒のサマードレスを着た美少女がチャンスと向かい合って座っていたのだ。何がどう間違ってああいう組み合わせが生まれたのだろう。JTは不思議でならなかった。

「あら、チャンスじゃない。女の子連れで。やるわねー」

 ユーネにもやっぱりそう見えるらしい。

 やがて、チャンスの方も気づいたようで、店の中にもかかわらず二人に手を振ってくる。だからユーネとJTはチャンスたちのテーブルに近寄った。

「あ〜ら、お兄様。可愛いお嬢様をお連れですこと。どこでひっかけにおなりあそばされたのかしら」

 口元だけで笑って変な言葉で精一杯の皮肉らしきものをぶつけるJT。

「メリー、可愛いって。よかったな」

「光栄ですわ。ですが、お姉さま方には及びません」

 この二人は皮肉を全く意に介していなかった。逆に皮肉を返されたと感じたJTは内に湧き起こった怒りを抑えるので精一杯だった。

「礼儀正しい子ね。相席よろしいかしら?」

「ええ。喜んで」

 さて、JTとユーネが席に着くと、二人を連れてきてくれた王子様がテーブルのそばに立ったままで何かを見つめている。いや、何かではなく、誰か。

 王子の視線は、同じ碧眼をもつメリーという少女に向けられていた。メリーも王子の碧眼を見つめ返す。二人の顔には、何の感情も存在していなかった。いや、王子の顔にはわずかばかりの引きつりが。ぴくぴくと。

「チャンス様、店を出ませんか?」

「ん?ああ」

「お姉さま方、ご一緒できなくて残念ですわ」

 チャンスとメリーは席を立ち、会計を済ませる。

「あ、残ってるのは食ってもいいぞ」

「チャンスの食べ残しなんていらないわよ!」

 ふたりは店を後にした。

「なんだっつーの……」

「何が?」

「なんでもないよっ!」

 JTはもうご機嫌ななめ。お姉さん悲しい。

「メリーの奴……」

 王子が苦々しそうに呟く。

「あら、あなたのお知り合いですか?」

「ええ、少々……メリーも、貧相な男を選んだものだ」

 男の呟きにJTが反応する。

「うちのお兄ちゃんは馬鹿だから剣一本で海に飛び込んで大ダコ切り刻んでたこ焼きにしちゃうくらい強いんですぅ!馬鹿だけど!」

 JTはチャンスの食べ残しの揚げ物を指で加えて口に放る。

 少し冷めたカラマリ。タコのフライだった。

「まあ、JT。ご馳走になるのに失礼よ。ところで、あなたの名前は?」

 驚いたことに、この期にいたるまでふたりとも彼の名前を聞いていなかったのだ。全く関心を寄せられていないと言う事実にめげるでもなく(気付いていない可能性も全く否定できない)、王子は自己紹介をする。

「私はミカエルと申します」

 

 

 

店を出た後、チャンスとメリーは街や港の辺りをぶらぶらと散歩した。なし崩しに、というやつだが、それなりに楽しめた。時間は、2時を少し過ぎたところだろうか。

「私、そろそろ戻らないといけません。羊を見なければいけないから」

「そっか」

「チャンス様はいつまでご滞在になるの?」

 チャンスは少し考えてから答える。

「……ん〜、しばらくいていいって言ってたからな。あいつらが飽きたらいなくなるけど」

「そうですか。明日お発ちになるということは?」

「さすがにそれは無いと思う」

「そうですか……」

 カラフルなボートが並ぶ港をふたりで歩く。露天でも並んでいるみたいだ。

「今夜、家の庭にいらっしゃいませんか?あの高い場所で見ると、星がとても綺麗なんです」

「ふうん。面白そう。みんなで行っていい?」

 そこで、メリーはわずかに怪訝そうな顔をする。

「出来れば一人でいらっしゃってください。秘密の場所ですから」

「秘密、ならしょうがねえか」

 あまり秘密っぽい場所ではなかったが、秘密と言うからには秘密なんだろう。

「ありがとうございます……」

 メリーはチャンスに微笑みかけて、踵を返して、丘のほうへ帰っていった。

 

 

 

「で、あなたはそれを了解したと」

 チャンスは宿の部屋で女ふたりに尋問されていた。

「ずいぶん良いご身分ですこと、お兄ぃ〜様」

「……なんだよ」

 ベッドに腰掛けるチャンスの前に、ユーネとJTが立っている。

「行楽地でずいぶん浮かれ気味じゃあないのかな」

「まあまあ、いいじゃないのJT。ひと夏のアバンチュールってやつだわ。面白そうだから日記にも書かせてもらうわね」

「書かんでいいわ!」

 部屋をこっそり抜け出そうとしたのがいけなかった。普通に出て行けばここまで勘繰られることもなかっただろう。

「だってよ、メリーが秘密って言ってたからさ」

「その秘密って言うのがやらしい」

「まあ、日記に書かせてもらうけど」

「書くな!ったく……もう行くぞ、俺」

 チャンスはユーネとJTを押しのけて部屋を出る。

JTはぶすっとした顔になる。彼女がこんなに不機嫌な顔を見せることは珍しい。普段から気遣いの多いこの娘も、ここへ来てリラックスしている証拠だろう。リラックスしているのに機嫌を損ねると言うのも変な話だが。

「JT、もう機嫌を直しなさいな」

「べっつにぃ〜い、ふっつうっです〜ぅ」

 そっぽ向く。あっち向く。ベッドにどかりと寝転ぶ。

 お姉さん悲しい。でもめげないの。

「まあ、心配になるのはわかるわ。だからね」

「だから?」

「見に行かない?」

 一瞬、何を言われたのかわからなかったJT。

「だから、チャンスを」

「なんで!?」

「だって、面白そうじゃない」

 ユーネはくすくすと笑う。

 もしかしたら、この島へ来て一番はしゃいでいるのはユーネなのかもしれない。

 

 

 

 昼間に行ったメリーの牧場は、歩いていくと少し時間がかかった。何せ長い長い坂の上、島の中でも上から数えて何番目かに高い場所だ。そんなところに住んでいる彼女と羊たちの体力たるや相当なものだろう。きっと。

 坂のてっぺんまで上ると、メリーの姿が見えた。そばには羊が一匹と、子犬のチャンス。

「お〜い」

 呼びかけてみると、メリーが手を振ってくる。チャンスはそちらのほうへ小走りに駆け寄る。

「遅くなった」

「いいえ、遠いですから」

 昼間にいた崖のそばにふたりで立つ。さすがに、昼間みたいに崖の下に脚をさらす気にはなれなかった。なにせ、その遥か下にはあらゆる物を飲み込んでしまうかのような闇、絵の具の黒をぽつんと落とした漆黒。魔物が棲んでいるといわれたらきっと信じるだろう。想像してみて、体を振るわせる。

 その代わり、空は輝く星で埋め尽くされていた。

「この場所は、神が星を眺めた特等席なんです」

「へえ……」

 信仰のないチャンスには御伽噺のような話だったが、神さまの特等席という話も嘘ではないと思うくらい荘厳な光景だった。

 ふたりと2匹は長い間、ものもいわずその光景を眺めていた。いや、羊は鳴いていたが。めぇ〜。

「チャンス様……」

「ん?」

「私の部屋へ参りませんか……」

 

その光景を陰でずっと眺めていたものがあった。ユーネとJTである。

「なんかすご〜くイイ雰囲気よ」

「……そう?」

 ユーネはやけに楽しそう。

チャンスの後をついていったら、長い坂を上ってこんなところまでくる羽目になってしまった。

(星を眺めてるほうがいいじゃない)

「ああっ!そこ!……そこで肩にそっと手を回して!」

 ユーネが馬鹿になった。

「ユーネは恋愛小説の読みすぎ……」

 この期に及んでは、JTの気勢はすっかり削がれていた。ユーネに毒気を抜かれてしまったというか。

「あ……なんか部屋へ行くみたい」

「なぬ!」

 ふたりで身を乗り出す。

「ぬぬぬ……許せん!」

「?」

「!?」

 デバガメ娘二人の後ろから、男の声がひとつ。

「あの軟派野郎!」

 男はJTとユーネに構わず走り出した。

 

チャンスがメリーに手を引かれ家へ向かうと、そのふたりめがけて走り寄ってくるものがあった。それは勢いをつけて飛んできた。

「!」

 チャンスはメリーを抱きかかえてそれをやり過ごした。

 それは、その人影は、付きすぎた勢いを殺せず、崖の下へ――

 落ちた。

「おわああぁ!?」

 違う!落ちたらダメだ!地上から完全にはみ出て、そのまま落ちるかと思われた体は空中で静止した。そのままつぃーっと地上に復帰し、尻から落ちた。

「……なんで?」

 チャンスの疑問はすぐに払拭された。

 丘を下る坂の下に隠れていたユーネがJTと一緒に姿を現した。

「ふう、危なかった。今回一度も魔法を使わないまま終わるところだったわ」

「そっちかよ!」

 ついついチャンスが突っ込む。

「…………」

 メリーは、たった今闇に呑まれかけた男に顔を向け、じっと睨む。

 その男の顔は、全員が見知った顔だった。

「……誰だ?」

 チャンスの一言に全員が沈黙する。羊も沈黙。

「あなたは、昼間の……」

 金髪碧眼、黒い海水パンツの王子様顔の若い男。確かミカエルといっただろうか。

「メリー……」

「今日は街の女のところで過ごすのではなかったのですか?」

 メリーは冷たい目で男を見下ろして言う。

「お父様」

「お父様!?」

 チャンスたち3人はすっかり意表をつかれて思わず叫んでしまった。

 てっきり恋人かお兄様だと思っていたのだ。

 

3人はメリーの家に招かれ、話を聞くことにした。

 聞いたところによると、お父様の年齢は39歳ということだ。亜人種でもないただの人間がこの年齢で20歳前後の容姿を保っているというのだ。驚異的である。ユーネは呪いの可能性を疑ったくらいだ。ちなみにメリーは15歳。

「で、お父様は娘が家に男を連れ込もうとしているのを見かけて飛び出したわけね」

 よくわからない経緯でユーネが場を仕切っている。

 こくり、とミカエルは頷いた。その後でメリーが話す。

「お父様は、私が家にお友達を招こうとするといつもこうなのです」

「だってそれはお前が男ばかり連れてくるからだろう!?」

 メリーは父を睨んで言う。

「女の子など連れてくるわけには参りません。何せこの父ですから」

 なんとなく、場が納得してしまった。いろんな意味で。

 ミカエルが苦言を呈する。

「過保護とは思いますが、早くに妻を亡くしてしまい、私が目を光らせねばいけないと思いまして……」

「亡くなっていません。島の反対側で暮らしています。愛想をつかされて出て行かれたのでしょう?私が4つのとき」

「妻から預かったこの娘を立派に育て上げたいと思う一心で……」

「お母様は私を連れて行きたがったのですが、お父様があまりにも哀れにすすり泣くもので、さすがに私も母もいたたまれなくなりまして」

「やはり男手ひとつで娘を育てる無理を感じ、やはり母親が必要なのかと」

「私に羊の世話を任せて御自分は女性を口説きに浜へ出かけるというのなら母など要りません」

 どうにも決定的にコミュニケーション不足の親子らしい。

「メリーさん、あまりお父様のお顔を潰すようなことを言ってはいけないわ」

 ユーネがそっとメリーを諭す。

「親であれば娘はこの上なく可愛い存在なの。だって、あなたをこんなに器量良しに育ててくれたのは他ならぬお父様でしょう」

「…………」

 横で黙って聞いていたJTはきっと反面教師だなとか思ったが、良い話をしているところなので黙っていた。チャンスもこのおっさんの行動パターン犬と同じだぜと言おうとしたが止めた。

ユーネが話を続ける。

「メリーにお母様が必要と言う話も、冗談で言っているつもりではないのでしょう?」

 ユーネの言葉に、ミカエルがそっと頷く。

「そういうわけだから、お父様のことも少しは察してあげなさい」

「ええ、わかります。父が私のことを考えてくれているのは。……だから、お父様が再婚目的で女性にお声をかけるのは許容しているのですが……ただ」

メリーはJTを見る。

「お父様はいつも、私より年下の娘ばかりに声をかけるのです……」

 しーん。

 そういえば、とJTを見るユーネ。ちなみに、JTは13歳。

 なぜか照れ笑いを浮かべて下を向くミカエル。

 メリーは窓のそばへ歩み寄り、お星様へ向けて呟いた。

「ああ、早くお嫁に行きたい」

 本音が出た。

チャンスはそのメリーの姿を哀れんで、なんなら嫁にもらってやってもいいかなとちょっとだけ思った。

 

 神さまの特等席から見た夜の星は、メリーの願い事をかなえてくれるだろうか。それから3日間悠々自適に過ごして島を去ったチャンスたちには知る由もなかった。

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