犬か猫か、というのがこの国にはあるらしい。人の性格や気質を犬や猫に例えて表すのだ。
例えば何事にも従順であったり、人の輪を重んじるような者は犬的であると言われるし、気まぐれで飄々とした者は猫的と言われる。持久力に優れた者は犬といわれるし、逆に瞬発力に優れた者は猫といわれる。
そして、犬と猫の間には、何も無い。犬と猫のほかは無い。白か黒か、大きいか小さいかであり、灰色も、中間も無い。こういってしまえば極端だが、要するにあいまいなことが嫌いな国民性なのだ。
自分は犬だろうか猫だろうか。剣の手入れをしながら、イエレ・グレイカはそのようなことを考えていた。
(妻を家に残して、この歳になってもまだふらふらしているような奴ぁ、気まぐれな猫だろうな)
イエレは数十年の経験を持つベテランの冒険者だ。体の大きいイエレは腕っぷしも強く、頭の回転も悪くない。仲間にも恵まれた。若い冒険者なら誰もが彼のキャリアに羨望のまなざしを贈るだろう。
その彼も、最近は体力の衰えを隠せないようになってきた。
イエレはもうじき48歳である。肉体が老いることの無いエルフやドワーフ、エデューテなどの長命な亜人種ならばまだまだ若輩の域だろうが、イエレは人間種である。若い頃のようには行かない。
彼の仲間は2人とも亜人種である。魔導師のムヤミは100歳を越え、エルフのレーネも80歳まで後何年も待たないが、外見は変わらない若さを保っている。
イエレが肉体の衰えをはっきりと感じ始めたのは35歳を過ぎたあたりからだ。32歳あたりが身体能力のピークで、一番脂がのっていた時期といえる。
猫のようにしなやかなで、犬のように走り続けることができた体は、もはや過去のものだ。
手入れを終えた剣を鞘に収める。ここ6年間ずっと使っていたものだ。初めの頃はまったく手に馴染まず、とても扱いにくい剣だったが、近頃はこれ以上ないというくらいしっくりと手に馴染む。
魔力を帯びていない剣が手入れを欠かさなかっただけでこれだけ長く使えたのだ。実はかなりの業物だったなと思い至ったのは最近のことだ。道具に対する眼力は、どうにも鍛えられなかったな、と自嘲する。
「さて」
帯剣して部屋を出る。表では仲間たちが待っているから。
近頃の彼はひどく疲れた顔をしている。何十年か連れ添った仲間のそんな様を見るのは、なんだか切ない。
彼、イエレ・グレイカは人間種だ。彼の体は月日とともに老い、弱る。筋肉は張りを失い(それでもなお彼の体躯は誰よりも立派だが)、時折剣の重みに疲れを見せることもある。昔のように積極的に敵の前へ出ることも少なくなっていった。
先ほどの戦闘でも、以前は一刀のもとに切り伏せていた魔物に苦戦していた。
しかし、それよりも気がかりなことが彼女にはあった。
轟!
ムヤミ・マハラの炎の魔法が敵陣の真ん中に突き刺さる。
大きな音と熱気に驚き、恐慌をきたす魔物たち。
熊の形を取った魔物が6、7頭。
その中に、果敢にも斬りかかっていくイエレ。レーネ・グラミウスとムヤミ・マハラは後方から魔法による支援。これは、戦士が独りしかいないこのパーティのお決まりの戦法だ。
熊の化物を1頭、2頭と仕留めていくイエレ。イエレの背中を狙う魔物には、レーネとムヤミの魔法攻撃が炸裂する。
あっという間に残り1頭。しかし、その一頭は他の熊よりも一回り大きかった。
「イエレさん、下がって」
イエレの負担を考え、レーネが一旦退くように呼びかける。が…
「いらん。たいしたこと無いだろう。さっさと倒せ」
「ムヤミさん!?」
その声を背中で聞き、イエレは「まったく人使いが荒いぜ」とつぶやいて苦笑した。
「それじゃあせめて援護を……」
「いらんだろう。ヤツなら軽い」
「ムヤミさん!だって……」
そうこうしているうちに、イエレは大熊の化物の心臓に、大剣を一突きしていた。
ほっとした顔は、レーネには剣の重みから開放された安堵のようにも見えた。
「ムヤミさん!」
イエレが大熊の首を持ってギルドへ換金に行っている間に、レーネはムヤミを捕まえて先ほどの戦闘の話を聞く。
「どうして、イエレさんを必要以上に前へ出すんですか?以前ほどの体力が彼に無いって、分かってるはずでしょ?」
「それがどうした」
「前と同じことはできないんです!彼の衰えは私たちがカバーするべきじゃないんですか?」
「ふん……」
そこへ、換金を終えたイエレが戻ってきた。
「どーした?またムヤミのバカがなにかしたのか?」
「イエレさん……」
たった今までイエレの話をしていたレーネは、彼の顔をみて少し居心地の悪そうな顔になった。
だがムヤミは、
「いやいや、イエレ。レーネがお前を年寄り扱いするものだからね」
「っ!……ななな何を言うんですかっ!?」
あっさりばらしやがった。
「ほう……」
「全く。このバカエルフは裏で陰口を叩くような陰湿で卑しい娘だったのだ。全く、体が頑丈なだけが取り得で」
「ひ、ひどいっ!違います!あたしはイエレさんが心配で……」
「イエレが年を取って足腰が弱ってるから心配だそうだ」
「そこまであからさまには言ってません!」
レーネの狼狽振りを見て、イエレはいつも見せるようなにんまり笑顔を作った。
「そうだな。俺もそろそろ引退かもしれんな」
「そんな……!」
イエレはそれきり、宿に戻るまで何も言わなかった。
森の中を巨体を揺らし進むオーガ。イエレとレーネはその背中を追う。森の地形の悪さのせいでムヤミはあっという間についていけなくなり、一人遅れる形になった。
「うおお!」
木々の間を巧みに縫って、自分の倍はあるオーガの巨体へ斬りかかるイエレ。オーガは近くの太い木の枝を力任せに引き寄せ、イエレの剣を受ける。イエレの剣は枝の半ばまで斬ったが、オーガには届かない。
オーガは半ば断ち切れたところから枝を切り離し、その枝を武器にして振り回す。
ぶん、と恐ろしげな風の音がイエレの頭の上を通過する。大きな遠心力を伴って振られた枝は、他の木に当たって砕け散る。
「はあっ、はあっ……!」
「イエレさん」
森の民らしく上手に木の枝を飛び移ってきたレーネが、イエレを支援するべく呪文を唱える。
レーネの呪文が発動すると、地面から無数の蔓が延び、オーガを拘束する……はずだったが、
ぶつっ、ぶつっ!
オーガは力任せに蔓を引きちぎった。
(やはり無理……でも)
昔のイエレさんだったら、あのわずかな隙でもオーガに斬りかかることができたはず。レーネはそう思った。しかし今のイエレは、オーガの眼下で荒い息をつくばかり。
「やっぱりあたしたちがやらなければ!」
レーネはより効果的にイエレを支援するべく、いつもよりひとつ間合いを縮めた。
しかし、オーガはレーネの飛び移った木に、巨大な足で蹴りを繰り出し、木を大きく揺らした。枝の上でバランスを取るより先に食らった振動で、レーネは足を滑らせた。
「きゃああ……!」
地面に叩きつけられるかと思った、その瞬間。
レーネの落下に制動がかかり、彼女はゆっくりと地面に降ろされる。
レーネには、それがすぐに魔法の力だと知れた。
「ムヤミさん!」
だいぶ遅れて、やっとムヤミが二人に追いついたのだ。
「弱いくせに無茶をするな」
「すみません……。と、ともかく、それはいいです!ともかく、イエレさんに援護を……!」
「いらんみたいだが」
「え?」
レーネがイエレのほうに目をやると、彼は彼女たちに向かって手のひらを向けていた。
援護は要らない。彼のそういった意思表示であった。
「なんでですか!一人じゃそのオーガは……」
「だが、昔だったらあれくらいは簡単に伸しただろう」
「だって今は!」
「お前ね。あんまりあの男をロートルの年寄り犬扱いするんじゃないよ」
「え?」
イエレは正面の巨大な敵を相手に、屹立して立っている。
「察しろ。やつに必要以上に手を貸すのは……特に、陰でやつを気遣ってやるなどということは、やつのプライドに障る」
「!」
レーネは、このムヤミという男がイエレに対して大きな敬意を、信頼を持っていることを悟った。そして、彼のことをよく理解していることも。
イエレはいつものとおり、その剣でオーガを屠った。今度は、レーネにも彼の顔に充足感が満ちていることを感じ取ることができた。
ムヤミは、相変わらずえらそうにふんぞり返っていた。
「ふう……」
剣に付いた血を拭い、鞘に収める。
「イエレ!遅!てこずりすぎ!この年寄り!老僕!枯れ木!駄犬!さっさとやめっちまえおじいちゃん!」
「ムヤミさん!やめてください!それにイエレさんは年寄りだけど駄犬じゃありません!」
「レーネ……」
レーネが思わず口にした本音に、イエレが苦笑する。
「あ……っ!す、すみません!」
「いや、いーんだ。人間は老いて当たり前だ。そして、老いることにプライドもある。恥じることは何一つ無い」
「……イエレさん、やめませんよね?」
レーネのその質問に、イエレとムヤミが声をそろえて意地悪そうに言った。
『なに言ってんの〜?ぷぷっ』
「なっ!」
ぎゃはははは。男性陣が下品に笑う。一人のけ者気分を味わうレーネ。
(……ま、いいか)
ともかく、もうしばらくは3人一緒に冒険することができるそうだ。
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