近くにある木の陰に腰を下ろし、ユーネは目の前に広がる湖の水面を眺めていた。

 退屈な荷物番の役目をユーネは進んで引き受けた。やることもなかったし、体が疲れていてあたりを動き回ることもしたくなかったからだ。

 少しばかり涼しすぎるので、薄手のカーディガンを上に羽織り、鞄から一冊の本を取り出す。

それは彼女にとって日記のような物であった。

 ペンを取って、1行付け加える。

 ユーネ達3人が旅に出て半年。仲間のチャンスとJTの兄妹にもだいぶうち解けた。何せ、毎日一緒にいる仲間なのだ。そして、いくつかのクエストをもこなしてもいる。

 ユーネたちの冒険が終わる頃には、白い300ページは真っ黒に埋まり、旅の想い出として残るだろう。

 そうやってしばらくそこにいると、赤い木の実をいくつか抱えて小柄なJTが戻ってきた。好奇心旺盛な彼女は、その辺りの散策に出かけていたらしい。

「ユーネ、あっちの樹にたっくさんなってたよ!いくつかわけてもらっちゃった」

 そういってJTはユーネの横に腰掛ける。

 ユーネはJTにありがとうといって、木の実を一つ受け取った。

 JTはユーネにとって、妹のような存在であった。旅に出た頃から何かと積極的に話しかけてくれて、ユーネがパーティの仲に溶け込む救いになってくれた。JTがあまりにユーネにばかりベタベタするもので、彼の兄であるチャンスが拗ねたくらいだ。

 JTまだ12歳という年齢だが、大人のような気遣いができる。普段はとても無邪気に振る舞う小柄なJTとの、そのギャップがユーネには可笑しかった。

「JT、チャンスはどこへいったの?」

「チャンス?んとね、向こうで剣を振り回してるよ。練習の虫なんだから」

 ユーネはそれを聞いてクスリと笑い、紐で二つ結っている長い髪をほどいた。

 JTはそれを見て、置いてある鞄から櫛を取り出し、ユーネの長い髪を梳き始めた。

 JTはユーネの長い髪がことのほかお気に入りで、何かとユーネの髪に触れたがった。だから、いつの間にかユーネの髪を梳くのはJTの仕事になっていた。

 ユーネの細いさらさらとした薄紫色の髪は、JTの櫛と指を心地よく流れ行く。JTはユーネの髪を見て、自分も伸ばしてみればこの黒髪も案外綺麗かもしれないと思ったが、はしゃぎ回って木の枝に引っかけるのが関の山だろうとチャンスに指摘され、自分でも自覚があるために断念した。チャンスのことは一発、はたいておいたが。

 JTは髪を梳くのを終えると、櫛を仕舞い、頭に巻いていたバンダナを取ると

ユーネのフカフカの胸に頭を預け、目を瞑った。JTはそうやっているのが好きだった。

 長い髪と同様に豊かな胸もまた、JTが持ち得ない物だったからだ。

 二人がそうやっていると、まるで本当の姉妹のように見えた。

 

 

 

 森の中に少し開けた場所を見つけ、チャンスはそこを鍛錬の場と決めた。川にもそう遠くはないが、水の危険にさらされる心配も無さそうだ。今夜はここにテントを張ってもいいかもしれない。 

 チャンスは背負っていた背嚢をおろし、炎の魔剣を構えた。

 チャンスは時間があると、いつも場所を見つけて鍛錬をしている。日課のようなものだ。

 鍛錬といっても素振りや型の確認、それに相手を想定しての影撃ちくらいだ。

 チャンスはその一つ一つをストイックに、黙々とこなしていく。普段は陽気な彼だが、いざ剣を握ると、彼は悪ふざけなどはしない。それが危険なことだと知っているからだ。

こうやって鍛錬をしているとき、彼はいくつかのことを考えている。

 例えば、チャンスはパーティー内で、自分の力量が最も劣っているかもしれないと考え、自分を追いつめる。ユーネは、体に流れる魔の血と潜在的な才能により、同じ年齢では誰もかなわない力量を持った魔術師であるし、JTは、ただの小柄な少女のように見えて実は希有の天才だ。

 チャンスはカシンの村にいた頃、辺境では類稀な才能を持つ少年剣士と名高かった。まだ少年ながら、大人をも凌ぐ戦士であった。

 そんなチャンスが慢心をしないで修行に明け暮れたのは、JTの存在があったからだ。

 村にいた頃、大人をもねじ伏せたチャンスだったが、そんな彼を唯一出し抜くことができたのは、他ならぬJTだった。

 JTは戦闘に関して訓練もしていないし、進んで武器の扱いを学ぼうとしたこともなかった。いつもチャンスが剣を振るうのを見ていただけだ。

 ある時、JTと遊びのつもりで手合わせをしたことがあったが、その時はJTに3本連取されたことがあった。JTは巧みな足運びでチャンスを惑わした。

 1本目、チャンスは油断をしてやられた。2本目、少しムキになってやったが、負けた。3本目、ほとんど本気になってチャンスはかかったが、するりといなされて、これもとられてしまった。2つ下の、それも武芸を学んでいない妹に、チャンスは後れをとったのだ。

 チャンスが慢心をしなくなったのは、このころからだ。

 チャンスは再び剣を振るう。カシンの村にいた頃、いつも剣の相手をしてくれたロミナに対峙しているのをイメージした。純粋な意味での剣技だけならチャンスを凌ぐ使い手だった。

 JTたちに負けてはいられない。JTは旅をはじめた頃、戦闘で何もできない自分を悔い、力のありかを模索していたが、魔法のハンマーという強力な力を手に入れた今は、以前にも増して生き生きとしている。

 とにかく、JTとユーネは負けてはいられないのだ。それは、チャンスのプライドとも言えるものだから。

 チャンスが剣を振っていると、突然、茂みからガサガサと音が聞こえてきた。

 その音に気づいたチャンスは、咄嗟に茂みの方向に剣を構えた。

 しかし、彼がそこに見たものは――

 

 JTはやがてユーネの膝の上で寝てしまった。ユーネは嫌な顔ひとつせず、JTの顔を眺めていた。

 ユーネがJTの髪をさらりと撫でてあげると、JTは夢の中で気持ちよさそうに微笑んだ。起きる様子はない。

 ユーネは無邪気なその顔にちくり、と胸が痛むのを感じた。

自分にはこんなに無邪気な顔は、もうできないかな……。

 己の体に流れる魔の血を強く自覚してしまったら、こんな顔は……。

 人は生きていく。たとえ、強い力を身に宿さなくとも、強く、笑って生きてゆくことができる。強い力など、必要ではない。では何のために、自分は内に力を宿しているのだろう。

 ユーネは左腕に填めている腕輪にそっと触れる。これはユーネの魔性と強大な力を封じるための封環である。力を封印してなお、彼女が放つ魔力は誰よりも強大だ。

 にゃー……。

「…………」

 森の中から、猫の声が聞こえてきた。

 鳴き声のしたほうを見ると、頭に子猫を乗せたチャンスがのろのろと出てきた。

「チャンス?どうしたの、その猫」

「……なんか、なつかれた」

 チャンスは、何と言っていいか分からず、頭の猫を引きはがそうとした。しかし、子猫はどうやらそのポジションが気に入ったのか、激しく抵抗する。単に高い位置から降ろされるのを怖がっているだけだったかもしれないが。

 また、よくみるとチャンスの後ろにもう一匹、仔猫が居た。そちらの猫はおっかなびっくりにチャンスと等距離をあけてついてきて、チャンスが立ち止まると威嚇するようにしゃーしゃー鳴いてチャンスの靴に爪を立てていた。

 猫の鳴き声がやかましくて、JTが目を覚ました。

「んー?あ、猫!どうしたのどうしたの?」

 JTはチャンスの頭に手を伸ばし、子猫を抱こうとしたが、やはり猫は離れない。

「ほえー、珍しい。チャンスって動物にはことごとく嫌われて、全然なつかれなかったのに」

「よけいなお世話だ」

 JTはこっそり背後から忍び寄って、チャンスの靴にがりがりと爪を立てているもう1匹を素早く捕まえ、抱きかかえた。

 驚いた猫はJTの腕の中でにゃーにゃーと泣いたが、JTが撫でてやるとやがて鳴くのをやめた。

「で、私はよくなつかれる方なんだ」

 JTがよしよしと子猫の頭を撫でる。

 チャンスは頭の子猫を引き剥がすのをやめ、頭の上で手を振ってやる。すると子猫が前肢でそれを叩こうとおいかけ、頭からずり落ちそうになったところで、チャンスの頭に爪を立てる。

「ちょっ……痛ててててっ!」

「からかうからよ」

 ユーネはそういうと落ちかけた子猫を抱き寄せた。今度は抵抗もなくそこに収まってくれた。

 猫とはいっても、肢の太さなどから山猫と知れた。もちろん、街とは程遠いこの辺に家猫がいようはずもないが。

「どうしたんだろうね、親猫は」

 JTは子猫の前肢を掴んで2本足で立たせたりして遊びながらそういった。

「はぐれちまったのか」

 チャンスがその猫に手を差し出すと、にゃー!と威嚇された。

 そうしていると、背後のほうから何かが動き回る忙しない音が聞こえてきた。

 3人がそちらのほうに注目すると、2匹の大きな猫が飛び出してきた。

 突然の闖入者に驚いていると、猫が走ってきた方向から、別の気配が感じ取れた。

 考える間もそこそこに、チャンスは炎の魔剣を手にして森の中に駆けた。その後を追い、ユーネが、最後に大きな包みを引っつかんだJTが走った。

 

 チャンスがそれと遭遇したのはすぐだった。

 それは、一つ目のオーガを大きくしたような姿で、身の丈は森の木ほどもあった。ただ、体は真っ黒な鉄でできていて、体の関節部分は連結されておらず、腕や首などが宙に浮いているようであった。右手には体に似合った、人には到底扱えないような大剣を持っていて、唯一顔の真ん中の一つ目だけが、趣向を照らして作った陶器のようであった。

 チャンスがその異形に驚いていると、やがてユーネとJTも追いついてきた。二人も例に漏れず、相手の異様な風体に驚いていた。

鉄のオーガは前触れもなくチャンスたちに躍りかかる。大きく振りかぶって、大剣を振るう。

大振りの隙を突いて、チャンスが鉄のオーガの銅に炎の剣を凪ぐ。チャンスの剣の軌道を炎の花が舞う。

しかし、綺麗に入った剣も、鉄のオーガにほとんどダメージを与えていないようであった。かまわず振り下ろされる大剣が、チャンスを襲う。間髪、JTが魔法のハンマーを振り上げ、大剣の力を相殺する。あまりの力に、JTは骨が軋むのを感じた。腕が完全に砕けなかっただけ拾い物だったかもしれないが。

 大剣を跳ね上げられて無防備になった鉄のオーガの腹に、ユーネが火球の魔法を放つ。ドゴ、と大きな音を立て、鉄のゴーレムが後方に吹き飛ばされる。

「ユーネ!ありがと!」

 JTが痛めた右腕を押さえ、後方に退がる。

 チャンスは後方のユーネたちを目で確認しつつも、前線で炎の剣を構える。鉄のオーガが、のそのそと起き上がってきたからだ。陶器のひとつ目がぎょろりとチャンスをにらむ。

(さて、まともな生き物なら関節を砕くこともできるが、どうもな)

 いまや起き上がったその鉄のゴーレムは、足首、膝、股間、指、手首、肘、肩、腰や首、関節という関節が全て抜け落ちていて、地に着けている両足を除けば、ほぼ宙に浮いていると言っていい。関節が壊れず、体全体が鉄。まさに弱点のない戦士といえる。

だが――

 鉄のオーガの攻撃は非常に単調なものだった。強大な力を以って相手をねじ伏せるだけの攻撃。誰にも負けない膂力に恵まれた者は、技術を身につける必要がないと考えるからだ。それですべてカタがついてしまうから。それは、チャンスが昔通った道でもあった。

 鉄のオーガはブンブンと大剣を振り回す。だが、チャンスはそれを巧みにかわしていく。JTほど身のこなしが軽いわけではないチャンスだが、単調で鈍重な鉄のオーガの攻撃をかわすのは彼にとっても造作もないことだった。それに、森という地形も彼に味方をした。鉄のオーガの剣は、そこかしこに生える森の木々に邪魔をされ、勢いを削がれていた。満足に振るうことすらできていないと見える。

 後方で見守っていたユーネは、次に唱えるべき魔法を思案していた。自身のもつ最高位の魔法であるメルトフレイムを唱えれば、鉄のゴーレムを蒸散させてしまうことも可能かもしれない。だが、その強大な余熱が森を焼いてしまうことは必至だった。

 そこでユーネはひとつの方策を考えた。炎を凝縮して、鉄のオーガに叩き込めばいい。

そして、チャンスは火が属の魔剣を手にしている。

「チャンス、下がって!」

 ユーネはそうチャンスに声をかけると、次にJTに目配せをした。それを受けて、チャンスと入れ替わりに、JTが前線に出る。

 ユーネは、戻ってきたチャンスの炎の魔剣の刃に手を当て、呪文を唱えた。すると、炎の魔剣は灼熱を帯び、白く黄色く輝いた。

「鉄の体を引き裂く炎のエンチャントよ。さあ、いってらっしゃい」

 チャンスは歯を見せてユーネに笑いかけると、再び鉄のオーガに躍りかかった。

「JT!」

 前方で鉄のオーガの攻撃をかわし続けるJTに声をかける。右腕のダメージが残っているらしいJTは、満足に反撃ができなかったようだ。

「俺があのデカブツの体を切り刻むから、隙を狙って弱点を撃てよ」

「……右腕を傷めている妹に、気遣いの言葉はないのかにゃ〜?」

JTはふくれて見せるが、チャンスは小さく笑うだけだった。

「じゃあ、よろしくっ!」

 JTのその言葉を合図に、チャンスが飛び掛る。

 そのチャンスに向けて、鉄のオーガは馬鹿の一つ覚えのように大剣を振り下ろす。無論、それは当るわけもなく、木の枝を切り落とし、幹を削るだけだ。

チャンスは背中を鉄のオーガの胸に預けるように跳び、鉄のオーガの右腕に炎の魔剣を振り下ろす。灼熱の刃が通り、右腕が切断される。切り口は熔けてドロドロになっていた。

熔けた鉄がチャンスの左腕に零れ、小さいやけどを作ったが、チャンスはそれには構わず、今度は鉄のオーガの右の脛を撃った。

右足と右腕を失った鉄のオーガは、バランスを崩して後方に倒れた。

「あんたの弱点は……」

 倒れた鉄のオーガの顔をめがけて、JTが魔法のハンマーを振り下ろす。

「でっかい面玉ッ!」

ガシャーン、という音がして、陶器製の大目玉が砕けると、鉄のオーガは活動を停止した。

 

 

 

鉄のオーガの足跡を辿っていくと、巨大な棺桶と蜀台らしきもの、それに石碑があった。

石碑には魔法文字が彫られており、ユーネはそれを「封印」と読んだ。

また、石碑には封印された年代が刻印されていたが、それは現在では使われていない暦だったため結局どれくらい昔のものかはわからなかった。

目覚めた鉄の囚人は、その日のうちに永遠の眠りについた。

 

チャンスたちが荷物を置いた川のそばまで戻ると、子猫も逃げてきた親猫もすでにいなくなっていた。ただ、赤く光る宝石がぽつん、と置かれていた。

 チャンスがそれを手にとってみる。

「これって、助けた猫の恩返しってやつか?」

 ユーネはそれを見て、

「多分、それは鉄のオーガの封印じゃないかしら」

 チャンスとJTは顔を見合わせる。

「それじゃあ、これを持ってきたのがさっきの猫だとすると、あの猫はお騒がせのいたずら猫ってわけね」

 JTはくすくすと笑う。

 チャンスはそんなJTに、輝く赤い宝石を放り投げた。チャンスはあわててそれを受け取る。

「今日の勝負を決めた功労者賞。貰っとけよ」

 ユーネも異論はないらしく、微笑んで肯く。

「あれ。優しい言葉の代わりなのかな?」

 JTは照れ隠しにそういいながら、宝石の輝きに微笑みを映す。

「さて、疲れたわ。キャンプを張る場所を探しましょう」

「ああ、それならあっちにいい場所が……」

 やがて、彼らは今回の最大の悲劇を知る。

 夕食の干し肉が、いたずらな猫たちによって持ち去られていたことを……。

 

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